〈五~七時間日〉シンナー・マリファナ・覚せい剤

シンナー経験者が一割も

保健体育の「アルコール・薬物」の授業もこれまでに、1、薬物依存の特徴、2、アルコールの害、3、未成年者と飲酒、4、女性と飲酒、と四時間終了しました。残り三回の授業をここに紹介します。テーマは、5、シンナーの危険、6、マリファナの危険、7、覚せい剤の危険、です。
この三時間を終えた後、翌週はまとめてビデオを観せます。『シンナーと覚せい剤・麻薬』(一橋出版刊)と『ダメ、ゼッタイ。シンナー団をやっつけろ』(財団法人・麻薬覚せい剤乱用防止センター刊)。合わせてちょうど五十分です。
では、授業に入りましょう。「シンナーやったことあるか」。私は教室に入るなり聞きます。もちろん、みんなの前で手を上げる生徒はいません。それでもたいてい何人かが、下を向きへへっと笑う姿が自に飛び込んできます。それを見て、こちらはなるほどと思うのです。
次に、「友達がやってるの見たことあるか」と、聞きます。今度はぱらぱらと手が上がる。そこで手を上げた生徒に何を見たか説明してもらいます。「ビニール袋で」、「ティッシュで包んで」、「コlラに入れて」密売の現場を見たという生徒も現れたりします。こうなると教室全体が、シンナーは自分たちのごく身近にあることを実感しはじめます。
実は前もって生徒から、シンナーについてのアンケートを取つであるのです。ある学年の男子の経験者一0・三パーセント、女子六・三パーセント。シンナー吸引の現場を見たり、吸引したと思われるところを見たことがあるものは、男女ともに三Oパーセントを越えています。ちなみにこのアンケートでは、シンナーを吸う理由は何だと思うかについても聞いています。多い順から、
1、興味・好奇心
2、嫌なことがありいらいらして
3、人のまねをして
4、本人の意思が弱いから
5、ただ何となく
6、むりやり
7、不良だから
となります。生徒たちの感覚は、ほとんどの教師が考えているものとは異なるようです。シンナーを吸うのは「不良だから」ではないのです。また、115まではどれも、誰にでもあてはまりそうな理由ばかりです。要するに、子ども達はほとんど遊び心でシンナーなど薬物に手を染めているのです。

心に深い傷を残すシンナーの害

では「シンナーにはどんな害があるか」と、質問すると、こんな答えが返ってきました。「頭がばかになる」、「中毒になる」、「歯が溶ける」など、生徒にも何となく怖いものという印象はあるのです。そこでここでは、シンナーを吸うと身体と心にどのような害があるか、具体的に解りやすく教えなければなりません。
シンナーを吸引して、いわゆるラリッた状態の若者を時々見かけますが、これはシンナーの急性影響なのです。シンナーはアルコール同様脳の働きを抑制し、麻市博させます。すなわち酪町作用と麻酔作用です。これが進むと延髄の呼吸中枢が麻癒して死に至ることもあります。危険なのは、麻療の進む速度がアルコールよりも早いことです。
知覚異常や幻覚も起こります。「体が浮いている」、「口から小人があふれでくる」、「友達の顔が恐ろしい表情に変わり目分に襲い掛かってくる」等々です。それから、長期間吸引すると慢性影響が現れます。
慢性気管支炎による咳、疾。末梢神経炎による手足のしびれ、歩行困難、筋肉萎縮。視神経の萎縮。再生不良性貧血。肝臓・腎臓の障害。脳の萎縮。そして、落ち着きがなくなる、無気力になるなどの性格的変化や有機溶剤精神病といわれる幻視、幻聴、妄想、異常行動などでいずれも深刻な症状です。
これだけ上げると生徒たちの目は大きく見開かれ、しだいに真剣に耳を傾けてきます。また、授業の冒頭で見せたビデオの生々しい映像もよみがえってきて、衝撃を受けるようです。さらには、こうした障害の中には、シンナーを止めても回復しないものもあることを教えると、いよいよショックは大きくなるようです。たとえばシンナーを止めた後でも、吸っていた当時の幻覚が突然よみがえる「フラッシュパック」などの症状を話すと、一層興味を示します。

マリファナは害がないか

かなりの生徒が、マリファナは「たばこほど害がない」と聞いているといいます。まずこれが間違いであることを明らかにしなければなりません。マリファナには発がん物質であるベンツピレンがたばこの一・七倍も含まれていること、そして、生殖器への影響があることを説明します。それから、有害性を分かりゃすく教えるために効果的なのは、ねずみの実験のスライドを見せることです。大麻の主成分はTHC(テトラヒドロカンナビノlル)ですが、このTHCの投与をつづけたねずみは互いに攻撃し合い、相手が死んだ後まで死体を噛みつ。つけるというすさまじいものです(Mouse-Killing behavior)。
もちろん、人間はマリファナをやって相手をかみ殺したりはしませんが、生徒たちに是非知ってもらいたいことは、こうした薬物を使用することによって正常な感覚が失われ、「自分が自分でなくなること」の危険、恐ろしさです。気持ちがよくなるとか、マリファナパーティで心の解放ができるとか、ふとした出来心や甘い誘惑に乗せられて、生徒たちが取り返しのつかない深みにはまるようなことになってはならないのです。

しのびよる覚せい剤

覚せい剤についても生徒たちには危険な誤解があります。大抵の生徒たちは、覚せい剤は暴力団がやるもので、自分たちには関係ないものと思っているのです。私はかつて、成田空港の税関で覚せい剤押収の現場に立ち会う機会をえ、つぶさにその現場を見てきました。そのとき、私の目の前で、末端価格一グラム一七万円の白い粉が二キロ押収されました。私はそれをカメラに収め、早速授業で生徒たちに見せました。
現在は第二次の覚せい剤乱用期といわれています。昨年(一九九六年三覚せい剤乱用で検挙された者の数は、二万六千六二四人を越え一九八九年以降では最高となりました。このうち、高校生が二一四人で、前年度の九二人に比べて、二倍以上になりました。そして、この問題は今や暴力団だけに関わることではないのです。若者や主婦などにまで乱用の波は確実に押し寄せているのです。
シンナーをやっていた生徒からよく聞くのは、「そんながきっぽいもの止めて、これにしろよ」と、覚せい剤をすすめられたというケlスです。シンナーはゲイト・ウェイ・ドラッグと呼ばれて、覚せい剤などよりハードな麻薬への入り口と呼ばれていますが、こうした言葉からもそのことがうなずけます。
シンナーの密売人というのは、あの学校には何人客がいるかまで把握しているそうです。原価で一本五O円のものを二千五00円で売りつけ、一O本買うと一本おまけしてくれたりして、一度捕まえると決して放しません。買う方はお金がなくなると、今度は自分が売り付ける側にまわります。当然友達も次第に離れていき、シンナー仲間どうしの付き合いになります。こうなると、もういつ覚せい剤に手を出してもおかしくない状況といえるでしょう。
誘惑の手口はほかにもいくらでもあります。ことに最近では、すでに述べたように中・高生などの若者の汚染が急増し、更には、これまで全く無関係と思われていた家庭の主婦などにまで広がっていますが、そうした急増の背景には使用法の簡略化――従来、注射によっていたのが最近では吸引する方法ゃ、覚せい剤をSとかスピードと呼んで恐ろしいイメージが薄れたこと、さらには「ダイエットによく効く」「疲労回復の薬がある」「二日酔いにパッチリ効く」「とっておきの眠気覚ましだ」「むしゃくしゃが取れるぞ」「集中力がつく」などと言葉巧みにすすめられるなど、大変憂慮される状況となっています。

薬物教育の四つのポイント

やがて、どんな薬物であろうと即席に気分を変えたり、面倒なことやつらいことから逃れられるといわれるようなものには一切近づかないことだ、と生徒たちは互いに話し合うようになります。もともと、生きていくことはなかなか面倒なことなのです。人間関係は面倒だし勉強も面白くない。就職や進学など将来のことを考えるのもやっかいです。しかし、そうしたことは誰にでも当てはまることで、その面倒なことを手を抜かずにやっていくからこそ生きることの喜びも大きくなるのです。
こんなレポートを書いた生徒がいます。
「中三の二学期、成績が下がるところまで下がって、ゆく学校がないと思ったとき、友達と一緒にシンナーをやった。頭の中が真っしろけになっていい気持ち。でも、後で情けなくなった。ラリッているときは何もかも忘れても、切れたとき結局何も変わっていない自分がいる。そこに気づかない人は、どんどん自分を傷つけてしまう。自分の人生なんだから、私はもう絶対自分から逃げないでやっていこうと思う」
薬物の授業でぜひとも教えておきたいことは、次の四点に要約されます。
1、自分にもいつ忍び寄ってくるかわからない、身近かなものであること。
2、身体と心の両方を傷つける有害なものであること。
3、使用すれば依存が進行していくこと。
4、失ったもの(時間も、友人も、自分も)は取り返しがつかないこと。
好奇心や快楽のために軽い気持ちで使いはじめ、やがてはそれに依存するようになり、そして、切れたとき、今度は苦痛から逃れようと薬を使わずにいられなくなる。一度そこに踏み込んだ人は、自分の力だけでそこから抜け出すことは限りなく不可能に近く大変なことを、まず教室の中で、生徒たちにしっかりと認識させることです。

自分に問いかける生徒たち

最後に、授業の前に行なった生徒たちのアンケートの答を見ていただきましょう。
「シンナーは吸ったことがないからよく分からないけど、中学のとき吸っている子がやたらに多かった。結局、自分に害を及ぼすだけで、たばこみたいに回りの人に迷惑をかけないから吸う人は吸っても別にいいと思う」
「臭いので、そばですっている人がいると迷惑だ。値段も高いし、そんなものに興味を持つ人の気が知れない」
「吸ってみたいという好奇心はあるけど、吸いすぎて死にたくはない」
「マリファナは煙草の強いやつぐらいと思う」
「近くに米軍基地のあるディスコなどでは、みんなマリファナをやっているから一般的なのかな」
「覚せい剤より軽い気がする。すぐに手に入りそうな感じ」このように、ほとんどの生徒たちは、薬物についてそれほどしっかりした知識も、また、悪いこととか怖いものという意識も持っていないことが分かります。ところが授業を終えた後、生徒たちの考えはすっかり変わっています。次にその結果も見ていただきましょう。
「友達にシンナーで一0キロもやせてしまった子がいる。止めろといえなかったけど、授業で知ったことを教えてあげたい。もしも私の一番の親友がそうなって、何を言っても止めなかったら私はどうするだろう。友達でなくなるだろうか」
「どうして暴力団の人たちは、こんなものを売って利益を得ょうとするんだろう。いくらお金が欲しいからといって、他人の生活や人生を目茶目茶にして悪いと思わないんだろうか。買いたいと思う人がいなければ薬物なんか密輸しても仕方ないと諦めるはずだけど、そうならないのはどうしてだろう」
「薬物をやる人は、心から『いけないよ』と心配してくれる人がまわりにいないのかも知れない。誰からも仲間はずれにされてしまうのが怖いのかもしれない。私は今頑張ろうと思えるものがあるし、友達もたくさんいて幸せだと思う」
ほとんどの生徒が、「私だったらどうするだろう」「薬物が身近にある社会をどう考えたらいいか」と、自分に問いかけ、そして・自分なりの答えをはっきりと出しています。
私は生徒と廊下で擦れ違うとき、いきなり声をかけてみることがあります。
「おい、ちょっと待て、シンナーやりたいと思うことあるか」
「やだー、先生、失礼しちゃう!」生徒はきゃーきゃー笑いながら駆けて行く。
生徒たちには生き生きと羽ばたいてほしい。自分の健康はもとより、他人の健康を思いやり、健全な社会に思いを馳せる心の持ち主であってほしい。そう願いながら、今日も私は教壇に立って持ち前の大声を張り上げています。