1 激変する社会環境

喫煙・飲酒・薬物乱用防止教育は健康教育の一環として

二十一世紀は、もうわれわれの手の届くところまで来ています。今、社会は高齢化・情報化・高度技術化・都市化・国際化などが急速に進み、こうした傾向は、今後ますます加速されることは容易に想像されます。このように変化の激しい時代にあって、わたしたち教師に課された課題は少なくありません。
しかし、残念ながら今子どもたちを取り巻く社会環境は、教育の荒廃を初めとするさまざまな社会問題の増大など、決して好ましい状態とはき守えません。科学技術や社会の進歩が進めば進むほど、そうした問題もまた大きくなります。私たちは今、視野を広げ、自然との調和を図りつつ、他者を思いやる豊かな心を育む教育の推進に努めるよう、強く求められています。

一九八七年、わが国で初めて「第六回喫煙と健康世界会議」が開催されました。また、この年厚生省から『喫煙と健康』(「たばこ白書」)が発刊され、文部省も昭和六十年度から順次小・中・高における喫煙、飲酒、薬物乱用防止の保険指導の手引きを作成し全国の学校に配布しました。喫煙・飲酒・薬物乱用が私たちの身体に及ぼす影響は、医学的にも明らかです。ことに、心身ともに未成熟で発育期にある未成年者にとって、たばこ・アルコール・覚せい剤その他の薬物が子どもたちの心身に及ぼす影響の大きさは、計り知れません。われわれはこうした事実をまず子どもたちに教え、子どもたち自身が喫煙・飲酒・薬物の乱用は、人間としての生き方に係わる重大な問題であることを、正しく理解することができるよう指導することが求められます。また、指導に当たっては、非行対策の視点にのみ偏ることなく、人間としての生き方、健康について認識を深める健康教育の一環として推進していく視点を忘れてはなりません。
私はこれまで、文部省小学校・中学校・高等学校「喫煙・飲酒・薬物乱用に関する指導の手引」の作成委員を長く勤めてきました。また、昭和五十九年の文部省教員海外派遣団の一員としてアメリカを訪問、六十三年には文部省、厚生省の推薦を受け、国際ライオンズ・クラブの招きで再度アメリカを訪問し、薬物乱用防止教育の研修と教師のためのワークショップに参加しました。こうした体験を踏まえ、学校における喫煙・飲酒・薬物乱用防止教育の必要性について、次に述べてみたいと思います。

生涯保健の思想の確立を

臨教審や教育課程審議会の改定の答申は、二十一世紀に向かって国際社会に生きる真の日本人の育成という観点に立って行なわれました。その要点は、
1、教育の基礎・基本の重視
2、個性を生かす教育の充実
3、自己教育力の向上
の三点に絞られ、社会の変化に主体的に係わることのできる豊かな心と、たくましい人間性の育成を図ることが特に重要であると述べられています。
改定の基本方針を保健体育についてみると、体育については、生涯体育・スポーツと体力向上を重視し、保健については、健康科学を基礎とした健康教育の一層の充実を目指すよう述べられています。保健に関しては今回特に、
1、現代社会と健康
2、環境と健康
3、生涯を通じての健康
4、集団の健康
の四つの項目を上げています。そして、わが国の健康水準の向上や疾病構造の変化についての理解を、生活行動と健康、健康の保持増進のための適切な食事・運動・休養が重要であると述べています。
また、喫煙・飲酒・薬物乱用と健康との関係、そして、医薬品の正しい使用法の理解と更には精神の健康問題、交通安全問題、応急処置に関する教育などは、時代の変化と要請に合わせてみても重要課題です。
第一五期中央教育審議会答申では、教育の問題を二つの角度からとらえていることが分かります。一つは戦後五十年間、相対的には世界の中で成功してきた日本の初等・中等教育にも様々な問題が発生しているため、それらを解消するという観点です。いじめ、登校拒否、ゆとりのなさ、自立のおくれ、社会性の不足、などを克服する教育改革の要請です。
二つは、二十一世紀の高度情報通信社会における社会の変化に対応して、自ら新しい社会を築きあげていく人材の育成です。
この二つに対応する資質、能力として「生きる力」が取り上げられました。これには二つの要素が含まれています。「自分で課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力」、および「自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性」と「たくましく生きるための健康や体力」です。
「生きる力」を養うには、社会全体に「ゆとり」が必要で、そのために、学校・家庭・地域社会が連係して教育を分担することが提言されたのです。

近年、世界各国の学校で吹き荒れているいじめ問題や登校拒否や喫煙・飲酒・薬物乱用問題などは、ある意味では思春期の子どもたちに特有の問題でもあります。また、高校生に限つての死因別死亡者数では、乗り物による不慮の事故が第一位で、その三分の二は二輪車によるものです。したがって、学校で交通安全の問題を取り上げる意義は大変大きいのです。また、基本方針が生活行動と健康を取り上げていることも時代の要請に答えていると思われます。よく言われるように、わが国の三大成人病は、がん、心臓病、脳卒中でこれらが病気全体の六二パーセントを占めています。がんは四人に一人、心臓病は五人に一人の割合です。いずれも生活習慣と密接な関係にある病気で、喫煙・飲酒など現代社会における数々のリスク・ファクターが影響しています。厚生省は最近、この「成人病」という呼び名をより実態に則した「生活習慣病」に改めると発表しました。プレスローの七つの健康習慣と寿命からも、健康習慣を多く守るほど寿命は長くなることが証明されています。そうした意味でも、われわれは、いかにアクティヴライフを確立するかということが間われています。生涯体育・スポーツとともに生涯保健の思想の必要性が、ここにあります。
学校における健康教育という点では、世界の先進国に共通の悩みといえる問題があります。それは国が豊かになり都市化が進むにつれて、子どもを取り巻く環境・家庭・学校・社会など、大きく言えば生態系が変わってきています。たしかに、現代社会は物質面や生活の便利さ、快適さという点では大変恵まれています。ところが、そうした点で恵まれている国の子どもほど、心身の問題が多く発生しているのです。特に、心の問題――精神・心理・情緒などに様々な問題が発生していることは、既に皆様も周知のことと思います。簡単に言ってしまえば、子どもたちが発達過程をうまくクリアl出来なくなっている、手足は長くかっこいいが、体力や運動能力はそれに見合った発達をしていないのです。
わが国は今や世界一の長寿国になりました。発展途上国などで問題にされる栄養失調(malnutrition)とは逆に、栄養のとりすぎによる栄養失調(positive malnutrition)による疾患が、問題にされていることを忘れてはならないでしょう。